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『交響曲第1番』(HIROSHIMA)は、日本の交響曲。2008年、佐村河内守名義で発表された。 一連の「ゴーストライター問題」では、2003年に佐村河内が企画を提示〔佐村河内さんが新垣さんに渡したとされる作曲の指示書 時事通信社〕し、作曲家の新垣隆がモチーフの作曲から構成、オーケストレーションまでを担当した曲とされている〔「現代のベートーベン」佐村河内守氏のゴーストライターが語った! (『週刊文春』)〕。 なお、新垣隆は、2014年2月6日の記者会見において、当作品を含む佐村河内守名義の代作について著作権を放棄する意思を表明している〔佐村河内さん代作会見(1)「曲を書いてくれないと自殺する」と言われた 産経デジタル 2014年2月6日〕〔「佐村河内守氏の耳は聴こえていた」新垣隆氏が会見 、blogos、2014年2月6日。〕。 == 作曲の経緯 == 2003年に、作曲家の新垣隆が、佐村河内守から「曲の構成や楽器の編成、曲調のイメージを伝え、作曲をしてもらう形で」〔聴覚障害の作曲家 別人が作曲 (NHK)〕依頼を受け作曲した。佐村河内から新垣への作曲依頼時には、A4の紙一枚に音楽的な指示(メロディーのフラグメント、音列、和声、リズム、テンポ、楽器法など)は一切ない情緒的なイメージをのみを佐村河内の妻の字で〔偽ベートーベン妻の母「いつかバレる…」 (日刊スポーツ)〕書き込んだもの(指示書)〔が渡された〔『週刊文春』「全聾の作曲家はペテン師だった!」(文藝春秋)、2014年2月13日号、29頁〕。指示書にはイメージする作曲家として、楽曲の各部分にそれぞれ、「祈り」の部分には中世ポリフォニック確立前の音楽や、ビクトリアの「レクイエム」、バードのミサ曲、グレゴリオ聖歌が、「啓示」の部分にはバッハの「4声コラール集」と「ヨハネ受難曲」、「受難」の部分にはモーツァルトの「レクイエム」、オルフの「カルミナ・ブラーナ」、ペンデュラム、「混沌」の部分には「特にあてはまる例無し」、その他ペンデレツキなどと、作曲家名や作品が指定されていた〔。なお、依頼から作品の完成における副題は『現代典礼』とされており、作曲にあたって「広島の原爆投下」は両者に全く意識されていない〔。後述のCD発売の直前に、副題が『HIROSHIMA』とされた 。 佐村河内の自伝〔佐村河内守『交響曲第一番』講談社 2007年 ISBN 4062139359〕では、2000年までに12曲の交響曲を作曲していたが、これらを全て破棄し、全聾以降あえて一から交響曲を制作する事を企図したとされている。この『HIROSHIMA』は、17歳の時に最初に構想した『交響曲第1番』に基き、「原爆投下後の20分間の広島を表現した」としていた〔佐村河内さんから依頼「ヒロシマ」当初は「現代典礼」 (報知新聞)〕。 新垣は、週刊文春に寄せた手記の中で、この曲には『ウルトラマン』や『スター・ウォーズ』、『宇宙戦艦ヤマト』の要素をちりばめたと告白している。その理由は、それらの要素をいれると佐村河内が「いいね」と絶賛したからだという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「交響曲第1番 (佐村河内守)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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